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第一章 救援の重さ 第1話 08.03.12
 

野原に生い茂っていた雑草は無残にも踏みにじられ、無数の足跡だけが残っていた。
倒れていない雑草には絡みついた血痕が固まっていて、
風が吹いてきても揺らぐことはない。

 

ここは誇り高いジャイアントに守られてきた大地。
そしてこれからも永遠に守っていく大地。

 

口でこう呟いてみたが、何年か前には心の奥から湧き上がってきた勇気も誇りも今はない。
丘の上に立っていれば広々とした野原が一望出来る。
「悲嘆の平野」と呼ばれるその野原は、モンスターの大規模攻撃に対抗したジャイアント部隊が
激戦を繰り広げた場所だった。
大勢のジャイアントがここを守るために若い命を落とした。
戦闘終了直後の撤収の際に立てられた簡素な墓碑が高く茂った草の間からその先端を見せ、
当時の戦闘の酷さを物語っていた。
あれから30年程月日が流れたが、状況は何も変わっていない。

 

2時間前までここでは激しい戦闘が繰り広げられていた。
そして今はその悲惨な跡がそのまま目の前に広がっている。
ジャイアントの若い兵士達が野原のあちこちに散らばっている仲間の遺体を回収したり、
モンスターの死体を集めて燃やす準備をする姿が見える。
ナトゥーは舌を打ちながら野原を見回した。
今回もこの地は無事に守られたが、モンスターはいつかまた攻撃してくるだろう。
奴らは絶え間なく数を増やし、居住地に入り込み人の命を狙い襲ってくる。
その目的さえも分からない、盲目的なモンスターの攻撃は、ロハン大陸の全種族に
永遠に消せない恐怖感さえ与えていた。
まるで永遠に続きそうな戦闘、また戦闘。

 

物心付いたばかりの年頃、奇怪なモンスターの群れがジャイアントの領地を攻撃してきたという
噂を初めて聞いた。
その時は立派な戦士になってジャイアントのために勇敢に戦うことが夢だった。
ナトゥーはその幼い頃の夢通り、今では若いジャイアントの中でも抜群の戦士に成長し、
まだ若いにも関わらず部隊長に昇進した。
しかし幼い頃の熱い情熱は失われ、今は習慣的に戦っているだけだった。

 

ナトゥーは丘の上から目の届くかぎりのところを全部見回したが、彼が探している姿は
見当たらなかった。
その不安感は彼の頭の中に暗い想像を浮かべさせ、彼は歯を食いしばり、眉間にしわを寄せた。

 

「大丈夫か」


後ろから聞こえたのは仲間のクレムの声だった。
クレムの方へ振り向いた瞬間、ナトゥーは熱い液体が額から顔の側面に沿って流れ落ちるのを感じた。
彼は額の傷に手を押し当てた。
臨時手当として緩く巻いておいた包帯は血液に濡れ、既に役目を果たしてはいなかった。

 

「こんな傷なんか……」


ナトゥーは愛想悪く答えた。
クレムは肩を大きくすくめて見せた。
彼の肩や腕にも血で濡れた包帯が巻いてある。
ジャイアントの中でも大柄だと言えるクレムの体には、長い歳月を戦場で生きてきた者らしく、
傷だらけだった。
それはナトゥーも同じだった。二人は15年以上も共に戦場で戦ってきた戦友だから。

 

「ラークが見当たらないな」

 

無情な言い方ではあったが、クレムはナトゥーと一緒に丘の下に広がる野原を見下していた。
彼も友人の弟が心配になっていたのだ。
野原の隅々まで見回したが、ナトゥーの弟は見つからない。
ナトゥーの表情が固まっていた。
クレムが聞いた。

 

「負傷して兵営のバラックにいるのでは?」

「いなかった。」

 

ナトゥーの声からは不安が十分感じられた。
クレムは再び肩をすくめた。
想像できることは二つだけ。
ナトゥーの弟は戦死したか、戦場から逃げたのだ。
勇敢なジャイアントの戦士なら戦場で死ぬことを選ぶ。それが一番名誉ある死。
仲間を捨てて戦場から逃げた者は一生消せない不名誉なレッテルが貼られる。
だが、家族や本人がその対象ならそれは簡単に判断することではなくなるのだ。

 

ナトゥーが落ち込んでいるのも当然だった。
戦闘、そしてまた戦闘を繰り返し、その名を全種族に知らせた勇敢なナトゥーにとって、
どちらがより酷いことなのか、クレムは横目で自分の友人を見つめた。

 

突然ナトゥーの口から長いうめき声が流れた。
ナトゥーの上半身は硬直し、下半身は脱力からふらついていた。
ナトゥーはゆっくりと足を運び、丘を降りていく。
やっと血の止まった額の傷がまた開き、彼の顔に流れた血が細い線を作っていたが、
彼はそれに気づいていないようだった。

 

ナトゥーの足が止まったのは、昔ここで命を落とした、名も知らない戦士のために立てた
墓石の前だった。
墓石に身を寄せて倒れている若い青年が見えた。
まるで激しい戦闘に勝利し、その場に座って休んでいるかのようだった。
勝利を収めたという満足感から笑っているのかもしれない。
だが、勝利の喜びで微笑んでいるはずの顔はどこにもなかった。
碑石に身を寄せていたのは、首が切られて頭の付いてない死体だった。

ナトゥーはその遺体の手首を握った。
その手首には金属で飾られた腕輪がかけられていた。
腕輪の金属は夕暮れの日差しを浴びて赤く光っている。
ナトゥーの表情が歪んだ。
彼は冷たくなった遺体を抱きしめた。
ナトゥーの手首の腕輪と金属飾りがぶつかり、泣き声のような音を出した。
それはナトゥーとラークの母親が、戦場に向かう二人の息子に渡した腕輪だった。
全ジャイアントの神であるゲイルに、幾日も夜を更かして祈った母親の愛情がこもったものである。
弟の遺体を胸に抱いたナトゥーの口から咽ぶような泣き声が漏れた。
クレムは苦虫を噛みつぶしたかのような顔で、空を仰いでつぶやいた。

 

「ジャイアントを守る偉大なる神、ゲイルよ。仲間の名誉のために戦い、
 死を迎えたものがここにおります、彼の魂が神に戻り…」

 

「黙れ、そのゲイルが、神が一体何をしてくれたっていうのか!」

 

名誉ある死を追悼するための祈りはナトゥーの叫びのせいで途絶えてしまった。
そして、いつの間にか回りを囲
んでいた若いジャイアントの戦士達が不安な表情で
ナトゥーを見つめていた。
ナトゥーは顔を歪ませたまま若い戦士達のほうへ振り向いた。
まだ少年の顔をした若い戦士達。
命を落とした自分の弟と同じぐらいに若い。
彼はこれまで数え切れないほどの若い戦士を見てきて、覚えられないぐらい多くの死を
見てきた。
今ここにいる者の中で、明日、そして明後日まで生き残れる者は何人いるだろう。
首の奥から熱い何かが込み上げてくるのを感じながら、ナトゥーは顔をうつむかせた。
いつしか彼は傍目を気にせず大声で泣き叫んでいた。
 

第二話もお楽しみに!
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