「預言者デルピン… もちろん知っています。 あの方こそ勇気ある預言者でした。 当時、誰も口に出せなかった、世界の終末について直接国王陛下に話した方ですから。 レゲンからヴェーナへ遷都すべきだと主張し、そのせいで他の神官達から締め出され、 だんだん歴史から忘れ去られてしまいましたが・・・ あの方と比べたら、私はただの臆病者に過ぎません」
リマ・ドルシルの閉ざされた目がゆっくりと開かれる。 トリアンは彼女の瞳が潤んでいることに気づいた。
「私は、幼いころ主神が消滅なされ、この世界にあの方の全てが散らばるのを目撃しました。 そしてその瞬間、この世界が見えました。 それは・・・ 言葉ではとても説明できない恐怖だったのです。 その時、私の予知力が目覚め、お蔭で今はこうやって大神官になれましたが・・・ 今も私が夢で見る物は、そのときとあまり変わりはありません」
神様は本当に私たちをすてたんでしょうか? トリアンは、ずっと胸の内にしまいこんでいた質問を彼女に聞けなかった。 しかし、彼女はリマ・ドルシルがどういった答えをするか分かっていた。 大神官のリマ・ドルシルは「そうではありません」と答えるだろうし、 預言者としての彼女は「そうです」と答えるはずだ。 しかしリマ・ドルシルとしてはどういう答えがでるんだろうか。 「予知力が目覚めてから、私は私の予言が間違いであるように祈ってきました。 今は聞いてくれる方もいませんが・・・ それでも私は絶えなく祈り続けています。 むしろ私の予言が全部間違いでありますようにと」 「大神官様・・・」
トリアンは何もいえなかった。 リマ・ドルシルの望みは、それだけでも大きな悲しみであったが、 その中に含まれている意味は、絶対的な絶望であった。 預言者たる者は、自分の予言が未来の姿をそのまま見せてくることを望むが、 彼女が自分の予言が間違いであると望む時は、 その予告された不幸を避けることが出来ない時だけだろう。 彼女の望みが悲しく感じられるのはそのためだった。
「方法はあるはずです。未来を変える方法はきっとあるはずですよ」
トリアンはリマ・ドルシルを慰めようした。 彼女の頬にはいつの間にか涙が伝っていた。 「嘘でもいいから… 私が見たのと違う未来が見えたと…誰かに言われたいです。 私が見たのが全部間違いだったと非難しても、 私はその人の言葉を何の疑いも無く信じてあげます。 誰もがその人を非難しても、私とは違うその人の予言を信じてあげたいです」
その瞬間、トリアンの頭の中に何かが閃いた。 違うかもしれない。しかし、いかにかすかな希望であっても、私たちはそれに頼るしかない。 トリアンは慎重に言い始めた。
「もしかして、デルピン様は何かをご存知だったのではないでしょうか。 レゲンを捨て、ヴェーナに移そうと仰った方ですから… これからのことに関しても、何か対策とかを言い残してくださったのではないでしょうか?」
「分かりません。故人の預言者の予言記録は王宮の古文書館に保管されていて、 それらは女王陛下の許可がないと閲覧できないので・・・」
「デルピンの予言のことですか?」
声が聞こえた方向に振り向いたトリアンとリマ・ドルシルは、驚いて跪いた。
「女王陛下!」
シルラ・マヨルが二人の侍女を連れ、トリアンとリマの前に立っている。 透き通るような白い肌と蒼録の瞳、オパールで飾られた銀のかんざしで留めている薄緑の髪が、 まるで美しい天使のようだった。 空色のシルクに真鍮色の刺繍を入れたガウンをはおり、 深海のような蒼いトパーズのワンドを持った彼女は、 トリアンとリマに近づきながら優しく声を掛ける。
「お二人とも、顔を上げなさい」
トリアンとリマ・ドルシルはゆっくりと立ち上がったが、 どうしてもシルラ・マヨルに顔を向けなかった。 彼女と目が合えば、自分の心の中を全部読まれてしまいそうな気がした。
「失礼な事だとは知っていながらも、お二人の話に思わず耳を傾けてしまいました。 デルピンの予言が気になるのでしょうか」
「はい、さようでございます。 デルピンの予言ならば、今の私達に必要な助言が含まれているかも知れないと、 そう思っております」
トリアンは慎重に答えた。 長い間禁忌に違いなく扱われてきた話題を取り出すことは容易ではなかった。 少しトリアンを見つめたシルラ・マヨルが口を割る。
「当時、デルピンの予言は皆に認められませんでした。 実際その予言は呪いに近かったものだから・・・ 今まで数々の預言者が未来を読みましたが、 デルピンの予言のように恐ろしい内容を含めていたものはありませんでした。 それでも読んでみますか?」
「はい、陛下」
「貴方がお望みであるものは無いかも知れません。 闇に閉ざされた未来を描いているだけの予言によって、 貴方の希望は無限の恐怖に変わるかも知れません。 そうなると貴方は生きる意欲を無くし、 一生、大きな絶望だけを抱いたまま生きていくしか無いかも知れません」
「私の決意が揺れることは決してありません」
トリアンの答えにシルラ・マヨルは少し考え込んだ。 そして、周りの侍女を下がらせてから目を閉ざし、深呼吸する。 彼女の体が光だしながら、足元に複雑な紋様の巨大魔法陣が描かれはじめた。 まるで巨人が丹念に書いたような銀の文字が一つずつ光りながら描かれていく。
魔法陣が完成すると、シルラの体からいくつの光の玉が浮かび上がる。 ぼやけて空中に浮かんでいた光の玉が、 魔法陣の光が強くなるほど太い巻物に姿を変えていく。 シルラは目を開き、1つの巻物を指差した。 リマとトリアンの目の前にシルラが選んだ巻物がゆっくりと開かれる。
「予言の記録は王宮の古文書館でなく、ヴィア・マレアの国王の体の中に保管されてきました。 手で触れる物でなく霊体として存在する物だからこそ可能だったのです。 世の中でもっとも安全に保管できる方法だと言えるでしょう」
リマ・ドルシルの声が震える。
「しかし陛下・・・ その方法は・・・」
「ええ、霊体を収めている肉体には相当な負担がかかります。 霊体を収めた瞬間から死ぬまで絶えなく自分の魔力を霊体に奪われますから。 いつかは魔力が尽き果てることもあるでしょう」
トリアンはやっとリマ・ドルシルの声が震えた理由が分かった。 魔力とは魔法が司れる力ではあるが、同時に霊魂の一部でもある。 魔力が尽き果てるということは、魔法が使えないということより、 永遠の眠りに喰われることの意味が大きい。
「死ぬのではないですが、生きているとも言えない永遠の眠りにつくことになる 可能性もありますので、こういう方法は確かに命に関わるくらいの危険性を伴います。 しかし、こうしてまで予言の記録を徹底的に保管すべき理由は、 時には予言で未来を知ってしまうことで、 一人の運命だけでなく全ての運命が変わる場合もあるからなのです」 | |