朝、ドラット国境地域を発ったナトゥーは夜になってハーフリングの西部国境地域に着いた。 フロンが追っ手から逃げていったと思われるところを探してみたが、 フロンの影どころか追っ手らしき存在も見えなかった。 バタンの情報が気になったが、フロンを探すのは国王の命令だったし、 もし彼を見つけられなかったとしても、イグニスに行ってダークエルフの国王に、 ジャイアントはダークエルフの使節団唯一の生存者である、 フロンを探すため力を尽くした、と証明しなければならなかった。
いつの間にか太陽は沈みかけていた。 ナトゥーはこのあたりで野宿しながら、もう少し調べてみたいと思った。 大きな木の幹にもたれ腰を下ろすと、木々の間からそそぐ月光が、彼の古いブーツのつま先を照らす。 森の中で何も無く、座ったまま寝ることは、ナトゥーにはそんなにたいした事ではなかった。
多くのジャイアントの戦士達は自分の体くらいの大きな皮を地面に広げて、その上で眠る。 しかし、いつどこからモンスターが襲い掛かるかも知れない辺境では、これさえも享受できなかった。 ナトゥーは辺境に来てからは、いつも腰に剣を指し、鎧を着たまま壁に背もたれて睡眠を取った。 副隊長になった後も、彼の睡眠方法に変わりは無かった。 ラークはそんな兄を心配して、宿営では寝台で寝るように勧め、 彼の言葉に従って寝台で寝てみようとしたが、なんだか不便でぎこちなかった。 結局、ナトゥーは寝台の上で座ったまま眠り、翌日その姿をみたラークは呆れた顔で笑うしかなかった。
石の墓碑にもたれていた、首のないラークの死体。 悲嘆の平野で命を落とした弟の姿が思い浮かび、ナトゥーは目を開いた。 涙などは流れなかったが、心の奥から溶岩のような熱い何かが溢れ、 裂けた隙間から流れ出るような感じがする。 その熱気が全身に広がったせいか喉が渇いた。
近くの湖に行こうと立ち上がるナトゥーの目に、かすかに光る何かが映った。 ナトゥーはゆっくりとそれが落ちているところまで歩いた。 丸くて小さなものが月の光で輝いている。腰を下ろしてそれを拾い、手のひらに乗せた。
土ぼこりを被ってはいるが、それは銀の指輪だった。 三つのアメジストが埋め込まれている指輪の内側には、何か文字が刻まれていた。 ナトゥーは汚くなった指輪を水にひたしてきれいに洗い、月光に照らしてみる。
指輪に刻まれた文字はジャイアントのものではなかった。 何だか見覚えがあると思って指輪を回転させてみたナトゥーは、 アメジストが埋め込まれている部分の裏側に、ある紋様を見て思い出した。 それはフロックスを示す炎の紋様だった。 満開に咲いた花の花びらのようなその炎は、 ダークエルフを創造した火の神フロックスと王家の繁栄を意味する。
「ここを通したな・・・」
ナトゥーは独り呟きながら周りを見渡してみたが、他の痕跡は見当たらなかった。 指輪を拾ったところに戻り、跪いて地面を調べてみると、幾つかの足跡が交錯しているのが見えた。 その足跡を見て、ナトゥーは四人のハーフリングが車を牽くロバとともに、 ここを通っていったのが分かった。 足跡で相手の正体を見抜くのは、戦士訓練場で一番はじめに学ぶことだった。 ナトゥーがいた戦士訓練場の担当教官は、武器をうまく使うのも重要ではあるが、 その前に相手に関してどれだけ知っているかが勝敗を分けるといつも強調していた。
「車には何か重いものが載せられていたようだな。 しかし… この足跡はハーフリングじゃないな。他の種族の足跡が2つもある。 歩幅を見ると両方とも男だな。でもフロンのものではない。 ダークエルフの使節団はシルクの靴を履いていたが、そんな靴ではこういう足跡は残らない。 この足跡の主はとても体が軽く素早いやつだな。 エルフ?違う。エルフよりは少し重い感じがする・・・ハーフエルフのものだな。 そう、前に聞いた事がある。ハーフリング達がハーフエルフを傭兵として雇っているという話…
他の奴もハーフエルフなのか?でも靴がぜんぜん違うな。 ハーフエルフ達は薄い鹿の皮で作った靴を履くが、コレはそれよりもっと硬い。 まるで薄く伸ばした金属のようだ。 それにこの足取りは疲れているようだが、節制があって力が入っている」
得体の知れない足跡を指先で探りながらナトゥーは考え込んだ。 湖から立ちのぼる水煙が風に乗って森に広がる。 月光を浴びた水煙は薄い蒼色を浮かべながら地面を覆った。 自分の足元に触れる蒼い水煙を見るナトゥーの頭の中で思い浮かぶことがあった。 節制と力のある足取りと荒い靴・・・
「聖騎士だな」
ナトゥーは自分の口から出る単語を聞いて強い拒否感を抱いた。
ロハン大陸でもっとも広い地域を占めた種族であるヒューマン。 そのせいなのか、ドラゴンが亡くなった後、ヒューマンの王国だというデル・ラゴスから ドラットに派遣された使節団は高慢な顔をしていた。 その頃10歳のナトゥーは、幼い弟たちを連れ、久しぶりに家に帰ってくる父親を迎えに行っていた。
王宮前の広場には幾多のジャイアント達が何かを待っていた。 ぼやっとしたナトゥーの目の前に現れたのは、はじめて見る種族と彼らを護衛していた父親だった。 ナトゥーたちの近くでその種族を見ていたジャイアント達は、その変な種族を「ヒューマン」と呼んだ。
ナトゥーは自分たちとまったく違う外見の見慣れない種族に我を忘れて見つめてから、 青色と銀色の鎧を着ていたヒューマンと目が合った。 ほんの少しの間の事だった、自慢と優越感溢れる彼の目つきがナトゥーを不快にさせた。 その夜、家に帰った父親は額に血管を立てながら、しかめた顔で 自分が護衛したヒューマンの使節団の話をした。
「まったく生意気なやつらだ。 自分らがまるでロハン大陸の主でもあるようにやっておる。 それでも我らは礼を尽くす意味で国境からエトンまで護衛してあげたのに、 かえって国王陛下に、我らが自分たちを犯罪者扱いしたと不平を言うんだ! 国王陛下は笑いながら、それはジャイアントがヒューマンよりでっかいから そんな誤解をしたのかも知れないと仰っていたな。 まったく無礼な輩だよ! それにそんな愚痴は序の口に過ぎなかったんだ。
彼らはドラゴンが亡くなった後、ロハン大陸でいろんな種族を訪ねてきたんだが、 その中でジャイアントが最後だったそうだ。 まるで自分たちが我らのためにわざわざ来てくれたように言うのを聞くと、 本当に開いた口が塞がらなかった。 それに、もっとも我慢できなかったのは、我らが望めば何の条件無しで ヒューマンの文明を伝授してあげると言っておったわ! その場にいた皆が、ヒューマンの使節団がどれだけ我らを見下しているのかが分かったんだ。 わしを含めてそこにいたジャイアントの面々が一瞬に固まっちまったよ。 なんと、普通はポーカーフェースの近衛隊長ノイデさんさえも顔を歪めていた」
そういったヒューマンの使節団の傲慢不遜な言行は全てのジャイアントに知られ、 ヒューマンに対する強い拒否感を生むことになった。
ジャイアントは自分たちの文明に高い誇りを持っていた。 荒い北の地で8人のジャイアントから始まって、 今まで開拓してきたジャイアントの文明に対する侮辱は、 彼ら先祖の汗や努力を笑い、精神を踏みにじることと同じものだった。 だからジャイアント達がヒューマンの使節団の提案に怒りを感じるのは当然だった。
ヒューマンがジャイアントの拒否と怒りに気づいたのか、 それとも自分たちの進化した文明に野蛮なジャイアントの文明は あまり役立たないと見限ったのかは分からないが、 それ以後ドラットを訪問したヒューマンは誰もいなかった。 後になってナトゥーは、自分と目が合ったヒューマンが聖騎士だったことが分かった。
足跡の主が聖騎士だと分かると、ナトゥーは気分を害した。 ヒューマンの聖騎士とハーフエルフの傭兵、重たいものを乗せた車を牽くロバ、そしてフロンの指輪。 ナトゥーの頭の中には車に乗せられたフロンが浮かぶ。 ダークエルフを襲い掛かった者がヒューマンの言葉で話した、 と言った死んだ侍従の言葉が事実であれば、ヒューマンの聖騎士の足跡が ハーフリングのものと一緒に残っている理由が分かる気がした。
ダークエルフとジャイアントの間に挟まれているハーフリング達にとっては 両種族が同盟を結ぶことを大きな脅威だと思うのが当然だろう。 しかし、ハーフリングやハーフリングに雇われたハーフエルフが使節団を襲って 自分たちの本性が露呈された場合には、状況はもっと厳しくなるはずだ。 だから彼らは一番近い友邦国であるデル・ラゴスに助けを求めたのではないか?
「…そして、やつらは何の遠慮も無く、ハーフリングの要請に応じたはず。 表ではハーフリングの国を保護するためだと言っておるんだろうけど、 実はロハン大陸の主の座を脅かすかも知れぬ芽を、早く排除するつもりなんだろうな」
ナトゥーは腰を上げ、あちこちに残されている足跡を睨む。 自分の推測が違うのかも知れない。しかしそれ以外、この足跡たちの説明ができなかった。
もうフロンの行方を調べることは、単にダークエルフとジャイアントだけのことではなくなった。 ハーフリングとハーフエルフ、その上ヒューマンまで関わることになってしまった。 ナトゥーは、もし自分の推測が正しいものであったとしても、 自分が直接ハーフリングを訪ねてフロンを出せと言うのは、 ジャイアントがダークエルフとハーフリング同士のことに口を挟んでいるように思われるかも知れない。 下手すると五つの種族が絡み合った争いが起こるかも知れなかった。
ここまで考えが及んだナトゥーは、まずイグニスへ行ってダークエルフの国王に ダークエルフの使節団が襲われたのはジャイアント達とは関係無いことだということを明かし、 この事件にハーフリングとヒューマンが関わっている可能性を伝えることが先決だと思った。 フロンが生きているかどうかも今の状態では分からないが、ナトゥーは彼が生きていると信じ、 自分がイグニスに行ってダークエルフたちと共にここに戻り、 彼を救出することがもっとも早い解決方法だと確信した。
だが、永遠の時間が過ぎた後も、ナトゥーがここに戻ることはできなかった。 | |