「偉大なるドラゴンの末裔ハエムが西の城門で待ってると言ってましたよ」
その言葉だけを残した赤い瞳の少女は、キッシュの答えは聞かなくても いいというようにそのまま背を向け回って走り去る。 キッシュが言い終わる前に、少女の姿はすでに消えてしまった。 キッシュはそのまま少女が消えた方向を眺めて、西側の城門に向かう。 道に張られた青と緑の翡翠のタイルに視線を向けてゆっくりと歩いてから、 一瞬少しずつ翡翠のタイルが黄色に染められていることに気づいた。 顔を上げると、太陽が徐々に海に沈み、 大きく開けられた城門の向こうで水面と翡翠のタイルを 黄金の色に染まっていくのが見える。 そして長く垂らした青髭の上で自分を見ている銀の瞳。
「偉大なるアルメネスの末裔よ、良くぞ参った」
「ある偉大なアルメネスの末裔に、貴公がキッシュを待っていると聞かれた」
キッシュはゆっくりとハエムに近づく。 自分の姿が映るその銀色の瞳で感じられるのは静寂だけだった。
「アティヤはハエムの侍従である。 いつもはハエムの隣に付いているが久しぶりに母親と会えるよう、 暫くの間実家に戻させた」
「侍従になると家族との縁は切るようなっているのではないか?」
高官の政治家は時々幼い侍従を雇ったが、 侍従の家族がその関係を利用して政治家の権力を乱用できないよう、 侍従になった子供は家族との縁をきることが不文律になっていた。 何の返事もなく夕焼けを眺めていたハエムはため息を吐き、口を割る。
「偉大なるドラゴンの末裔アナンの妹御なのだ…」
「悲鳴の戦場で死んだ、偉大なるドラゴンの末裔アナン…と仰るのか?」
ハエムはうなずく。 キッシュは何気なく粛然となる気がしてハエムと共に夕焼けを見つめる。
デカンが始めてバラン島に着いて定着したころから始まった ダン種族との争いは終わりが見えなかった。 幾多の若者たちが戦場を自分たちの血で色染めながら死んだ。 そのなか、アナンというデカンの少年がいた。 彼は自分の兄がダンとの争いで戦死し、その復讐のため戦争に身を投じた。 兵のために作られた鎧や兜がとても大きくて装備できなかい小さな体格にも関わらず、 いつも戦場では先立って敵陣に割り込んだ。 最初は彼のその無謀さに戸惑ったダンが押されるようになり、 戦争はデカンの勝利で終わるように見えた。 デカンはアナンを種族の未来を導く英雄として褒め称え、 幼いデカンの子供たちは眠る前にいつも親からアナンの英雄談を聞いた。
しかし、ダンはアナンの勝利が永遠であるようにはしなかった。 ダンの君長、レアム・モネドは退却するように見せかけて、 アナンを陣の真ん中に呼び寄して殺し、彼の悲鳴が響かれたその戦場に 「悲鳴の戦場」という名前が付けられたことを最後に、 アナンの名はデカン族の中で徐々に忘れていった。
「かの者たちは偉大なるドラゴンの末裔アナンを覚えておった」
「かの者たち?」
「ダンのことだ。 レアム・モネドが死んで、新たな君長が選ばれたあとも、 彼らは未だ偉大なるドラゴンの末裔アナンを幼き英雄として覚えておった。 同じ偉大なるドラゴンの末裔である我らは、記憶の彼方に追いやったのだが、 恥ずかしいことよ」
「そう… 偉大なるドラゴンの末裔アナンの妹御なら例外と思って同然であるだろう。 だが、気を付けたほうがいい。回りの視線は貴公が考えているように開かれているのではない」
「しかし、貴公はハエムよりは開かれているようだな」
ハエムはにっこりと微笑みながらキッシュを見つめる。 アナンのことを思い出して緊張が解けていたキッシュは虚を突かれたような気がした。 ハエムの視線から目をそらし、王宮を眺めながら張り切った声で問う。
「キッシュへの用件は何だ」
「貴公を王位候補者として薦めたのはハエムだった」
キッシュは驚いた顔でハエムを見つめる。
「貴公が…?」
「驚いたか?そういえば、貴公とハエムが話し合ったのはこれが初めてだな。 驚いて同然なはずだ」
「なんでキッシュを薦めたのだ」
「貴公が王になれる人材だと思ったからこそそうしたのだろう?」
キッシュが厳しく顔をしかめて冷たい声で聞く。
「偉大なるドラゴンの末裔キッシュは真剣に聞いている。 キッシュに何かを求めてそうしたのであれば、今でも遅くないはずだ。 諦め…」
「偉大なるドラゴンの末裔ハエムは真剣に貴公が国王になるべきだと思っておるのだ」
先までとは違って、ハエムの目つきが鋭く光った。
「ロハン大陸に対する神たちの攻撃は激しくなっている。 今でも偉大なるドラゴンの末裔デカンは多種族と力を会わせざるを得ない。 もはや優越感だけを持って、独りで対抗しようとしては 偉大なるドラゴンの末裔のデカンの滅亡を招くことになるかも知れぬ。 しかし偉大なるドラゴンの末裔デカンの多くは、 偉大なるドラゴンの末裔ハエムと同じ考えではない。 偉大なるドラゴンの末裔デカンは主神の創造物から生まれたゆえ、 下位神の創造物より遙かに優秀なので、他の種族との連携が無くても 神たちに対抗できると思っておる。 カルバラ大長老がその代表的な人物なのだ。 なので、かの者は偉大なるドラゴンの末裔ドビアンを薦めた」
「偉大なるドラゴンの末裔キッシュが… 何ゆえ貴公と同じ考えであると確信するのか?」
「旅立つ前の貴公であれば、偉大なるドラゴンの末裔ハエムは貴公を薦めなかった。 しかし今の貴公はその時とは違う目をしている。 外でなにがあったのかは知らないが、貴公はそれで何かを悟ったのだろう。 偉大なるドラゴンの末裔デカンが生き残るためには多種族と力をあわせる必要があるのだと… 心底では悩んでおるが、偉大なるドラゴンの末裔ハエムと同じ考えをしている目をしている」
キッシュは一歩下がってハエムを見つめる。 彼はいつからキッシュを監視していたのだろう。 どうやってキッシュの目つきから考えを読み取れたのだろう。 何のつもりでキッシュに近づいたのだろう。 何でキッシュに自分が薦めたということを知らせるのだろう。 キッシュの頭の中は縺れた糸のようだった。
「キッシュを見つめていたのだ」
「結果的にはそうなったが、悪意をもってそうやったのではない。 貴公の目を見たのはすごく偶然だったのである。 アティヤの実家に行くとき、誰かを待っている貴公を見たのだ。 深く考え込んでいた貴公の目からなんらか尋常ではない何かを感じ、 それ以後貴公を慎重に察知するようになった。機嫌を損ねたら申し訳ない」
嵐の目ハエム。 思い出せば、彼は自分の業績と比べてとても静かな人物であった。 カルバラ大長老やその周りの長老たちがデカン優越性を過信し、 ダンとの休戦を終わらせ、完全に押し潰すべきだと騒がしくしているのは噂でよく聞くが、 ハエムがどんな話をしているかに関してはまったく聞いたことがない。 さらには、彼がダンとの交流を担当する代表であるにも関わらず、 彼はカルバラ大長老の休戦破棄論に何の反応も見せなかった。 反対も賛成もしなかった。 彼はただ、国王の命令に応じ、黙々と自分の仕事をやり遂げるだけだった。 彼を信じていいのだろうか?
「貴公を信じてもいいだろうか」
「偉大なるドラゴンの末裔ハエムを信じなくてもよい。 偉大なるドラゴンの末裔デカンの未来のための、貴公自身の考えは疑わないでおくれ。 そういう風に考えたって偉大なるドラゴンの末裔デカンや ブルー・ドラゴンアルメネスへの裏切りではあるまい。 時には多数と反対される少数の意見が正しいこともあるのだ… この話がしたくて貴公を呼び寄せたのである」
キッシュはあからさまにハエムの目を見つめる。 彼の瞳は何の隠すこともないようにまっすぐキッシュの目に向いている。 何の揺らぎもない銀色の瞳。 こんな目をしている人なら信じていいような気がした。 キッシュはまっすぐハエムを見つめてから、顔を海に向け、ゆっくりと話す。
「偉大なるドラゴンの末裔デカンの力だけでは神に対抗できないと思ったのは、 想像もできない最悪の光景をみたからである。 悪夢だったと思いたい、そういう光景をこの目でみた… 神の下僕として育てられているドラゴンの末裔たちを… 偉大なるドラゴンの末裔キッシュは見た」 | |