‘お母さんにあげるつもりかな’
走って行くオルネラのあとをつけていると、
いつの間にか夕日は沈み、星が浮かんでいた。
夜になったが、ちらつく光を発しながら飛んでいる蛍のおかげであまり暗くはなかった。
だからなのだろうか、オルネラは怖がる素振りもなく楽しく走っていた。
青い海色の壁に白い屋根が乗っている家が目の前に現れ、
オルネラはお母さんを呼びながら家の中に入った。
トリアンもオルネラのあとをつけて中に入った。
元気良くお母さんを呼んでいた女の子の声は、急にリビングで途切れた。
オルネラを追ってリビングに入ったトリアンは息が止まってしまいそうになった。
リビングには巨大なペルソナが一人の女性を攻撃していたのだ。
「オルネラ!逃げなさい!」
ペルソナに攻撃されている女性はオルネラのお母さんだった。
オルネラのお母さんは逃げなさいと言ったが、
幼いオルネラはすでに恐怖で気を奪われていた。
母親はペルソナにしばらく目を眩ませる強い光を撃ってから、
オルネラに走り寄り、肩を握って振りながら逃げなさいと叫んだ。
お母さんの叫び声に気がつくと、オルネラは激しく体を震わせて床に座りこんでしまった。
「オルネラ!早く逃げなさい!お母さんが後で向かえに行く…」
最後まで伝えることも出来ず、彼女は口から血を吐きながら倒れてしまった。
いつの間にかペルソナが追ってきて、彼女の背中に長くて鋭い爪を刺したのであった。
ペルソナの爪が彼女を貫通し、噴かれた血がオルネラを染めた。
ペルソナは血を浴びたオルネラをみて攻撃しようとした。
しかし、オルネラのお母さんは素早くオルネラを背中に隠して
ワンドで光のシールドを作った。
ペルソナの攻撃は光のシールドに弾かれた。
自分の思うようにいかず、腹が立ったようにペルソナの攻撃はさらに乱暴になり、
その度にオルネラのお母さんはギリギリのところで防いでいた。
トリアンは自分がこの状況を覗いているだけであると言う事を忘れて、
彼女の前に立ってペルソナの攻撃を防ごうとした。
しかし、すぐに自分が見ているのがオルネラの過去であると言う事を思い出した。
そして、同時にオルネラのお母さんがペルソナに対して決して攻撃をせず、
防御だけをしていると言う事に気が付いた。
ペルソナを攻撃すれば、オルネラが逃げられる時間を稼げるかもしれないのに、
彼女はまるで自分が死ぬ事になってもペルソナには怪我はさせないと決めたかのように、
光のシールドでペルソナの攻撃を防ぐだけだった。
トリアンは親子を攻撃しているペルソナをよく観察した。
顔を隠している白い仮面には血で書いたような真っ赤な唇が書いてあって、
黒色で複雑な文様が書き込まれていた。
仮面には二つ、目の所が空いていたが、瞳のような物は見えず、
深い暗闇とその中に浮かんでいる青い玉があるだけだった。
トリアンはアカデミーで習ったペルソナの変異過程を思い出した。
レゲンがモンスターに侵略され、多くのエルフたちが
ヴェーナへ移住してきた頃から、急に疫病が伝染し始めた。
長い時間が経ってから人々はこの疫病を‘仮面の呪い’と呼んだが、
それは疫病にかかった人は仮面を被ったモンスターである
ペルソナに変わるか、命を落としてしまうからであった。
‘仮面の呪い’にかかったエルフは2、3日間すさまじい高熱に苦しみ、
その苦痛に耐えきれず、ほとんどの患者は死んでしまう。
しかし、高熱の苦痛を耐え、生き残っても完治するわけではなかった。
高熱の苦痛で生き残った人々は、10日間の変異過程を通じて
ペルソナというモンスターになってしまうからであった。
‘仮面の呪い’と言う疫病が残した歴史的な痕跡は多かった。
尽きぬ悲しみと言う地名は‘仮面の呪い’が残した代表的な痕跡であった。
当時、人々には疫病を完治できる方法を見つけられず、疫病はその勢いを加速させていた。
結局、‘仮面の呪い’にかかった患者たちはライネル川向こうの
夕暮れの監視所に捨てられるようになった。
疫病の伝染を防ぐ方法はそれだけだった。家族にも選択の余地はなかった。
皆、大きな悲しみで涙すら流す事が出来なかった。
‘仮面の呪い’がヴェーナから消えた後、遺族達は患者を捨てていた丘に集まって、
彼らの霊魂を慰めるために‘霊魂の飛び石’を作って空中に浮かべた。
その時から人々はその場所を‘尽きぬ悲しみ’と呼ぶようになった。
苦しい思いだけを残した、この疫病を完治する治癒魔法は
いまだにアカデミーの大きな課題として残っている。
アカデミー総長であるベラルミノがその分野の権威者として
長年、研究に邁進した結果、明らかになったのは、
‘仮面の呪い’でペルソナになったエルフに傷を付けられると、
同じく‘仮面の呪い’にかかってしまうと言う事だった。
トリアンはベラルミノの授業を通じて、疫病にかかって高熱の苦痛を耐えた患者が
どんな過程でペルソナになるのか習う事が出来た。
「2、3日間、魂まで燃やしてしまいそうな高熱を耐えると
患者はしばらく完治したかのように見えます。
しかし、5日後、患者は最初の変異過程に入る事になります。
最初、ペルソナになったエルフは1時間ぐらい自分の意識を失い、
モンスターになって暴れだします。1時間が経つとまたエルフの姿に戻ります。
自分がペルソナになっていた間の記憶は残っていません。
その後も1日1回、患者はペルソナに変わります。
ペルソナに変わっている時間も急激に増える事になります。
結局、初変異から5日が立つと完全なるペルソナになってしまいます。
ペルソナの変異過程で患者が何度目の変異過程であるかを知りたいのであれば、
ペルソナに変わっている時、仮面の中に隠れている瞳の色を観察するといいです。
1日目は黄色、2日目は緑、3日目は青、4日目は赤、5日目は紫色の瞳をしています。
完全なるペルソナになってしまうと仮面の瞳の所に見えるのは何もありません。
見えるのはただ暗黒だけです…」
であれば、親子を攻撃しているペルソナは3度目の変異過程にいる。
オルネラのお母さんはペルソナに変身している人に早く元に戻ってほしいからそうしていた。
一体、彼女があのようにまでなっても攻撃をしない相手とは誰なのだろう。
ペルソナの攻撃はさらに激しくなり、結局ペルソナの攻撃に彼女のワンドは半分に折れてしまった。
それと同時にペルソナのキリのような爪は彼女の心臓を貫いた。
彼女は悲鳴も上げられず、命を落としてしまった。
トリアンは周りを見回したが、オルネラを救ってくれるような人は影すら見当たらなかった。
オルネラのお母さんが死ぬと、ペルソナは彼女の背中に
隠れていたオルネラに向かって魔手を突き出した。
急にペルソナの爪がオルネラの首に触れる直前に止まった。
まるでそのまま時が止まったかのようだった。
しかし、時が止まったのではなかった。
ペルソナの3度目の変異過程が終わったのであった。
ペルソナの体が溶け出して、その中からエルフの男の姿が現れた。
巨大な氷山の中に閉じこめられていた木が、氷が溶けて姿を現すように、
彼はペルソナからエルフに戻ってきた。
エルフになった彼はまだ意識がぼんやりしているようで、
少しよろけながら頭を強く振った。
意識を戻すと彼は自分の目の前に広がった光景に悲鳴を上げ、
倒れている女性の遺体を抱きしめた。
「アルネ!アルネ!!」
ようやくトリアンはペルソナになっていた男がオルネラのお父さんである事に気付いた。
モンスターになったお父さんがお母さんを殺したと言う事に気付いた瞬間、
トリアンは心臓が止まりそうな苦しさを感じた。
‘私がこんなに苦しいのに…オルネラは…’
トリアンはオルネラを見つめた。
血まみれになってお母さんの遺体のそばに座り、
妻の遺体を抱いて泣き叫んでいる自分のお父さんの方を向いていたけれど、
オルネラの目には何も映っていなかった。
男はオルネラを見つけると、片腕でオルネラを抱きしめた。
「ごめん、オルネラ。ごめんよ…。
お父さんがお母さんを殺してしまった」
しばらくオルネラと妻の遺体を抱いたままむせび泣いていた男は、
泣くのを止めて半分に折れた妻のワンドを手にした。
彼は妻の遺体を丁寧に地面に降ろして、折れた妻のワンドを見ながら
何かを決心したようだった。
「そう…ずっと前に行くべきだった…
私はもう妻を殺した罪人だ。娘まで自分の手で殺すわけには行かない。
これ以上、罪を重くする事は出来ないんだ。…罪を償わなければならない。
すまない、オルネラ…」
男は折れたワンドを短剣のように両手で握って、自分の首を思いっきり刺した。
噴水のように血を噴きながら男は妻のそばに倒れた。
そして、石像のように固まって座っている娘を見て、涙を流しながら目を閉じた。
トリアンは涙を流した。
自分が覗いた幼い娘の無意識の世界はあまりにも残酷だった。
トリアンはオルネラを見ながら、最善を尽くしてこの子の傷を癒すと決心した。
オルネラの無意識の世界から抜け出そうと呪文を唱えていたら、
いきなり目の前に火柱が噴き上がった。トリアンは驚いて後ずさりをした。
先ほどまで目の前にいた夫婦の遺体やオルネラはいなくなり、
トリアンはいつの間にか燃えている小さな村に立っていた。
‘これもオルネラの無意識の世界?’
トリアンは周りを見回した。
所々で人々の悲鳴が上がっていて、
燃えている家から飛び出ている人の姿が見えた。その人は火の手から逃げようとしていた。
しかし、大きな刃が飛んできて、彼の背中に刺され、そのまま倒れてしまった。
彼の背中に刺さった刃は見た事のない武器だった。
持ち手の両側に大きな刃が付いている武器は、
もう幾つかの命を奪ったようで血まみれになっていた。
近づいてよく見ようとしたら刃が飛んできた所から誰か馬に乗って走ってきた。
海賊か山賊であろうと思ったトリアンの予想とは外れ、
馬に乗っていたのは鏡で作られた仮面を被っている女性のエルフだった。
長くて黒い髪を一つに結んだ彼女は死体に刺されている剣を取り出した。
初めて会った人だったが、トリアンはなぜか懐かしい感じがした。
彼女に近づこうとした瞬間、誰かがトリアンの後ろから恐怖に怯えた声で叫んだ。
「シーエフだ!シーエフが現れた!!」
その声を聞いた侵略者は何も言わずに巨大な刃を高く上げ、
声が出た所に向かって投げた。
その瞬間、トリアンは鏡の仮面の下からエルフの顔が見る事ができた。
仮面の下にはオルネラに似ている女が冷たい笑顔を浮かべていた。 |