振り下ろされた刃が造る断面のように切り立った崖の下には赤い川が流れていた。
「流れる火」とも呼ばれる溶岩の川がゆっくりと熱気を発しながら静かに流れている。
溶岩はほとんど人が足を運ばない深い山奥にある洞窟の一番奥から流れ出ていた。
洞窟の奥からは太陽のように赤く燃える溶岩が、
巨大な城を丸ごと飲み込んでしまいそうな穴から
絶えず湧き出していた。
何でも溶かしてしまいそうな熱い溶岩の湖、
その真ん中に一人の男が裸で浮いている。
時々、熱い溶岩が波のように彼の体を襲っているが、
何も感じていないように目を閉じたまま、微動だにしなかった。
彼の髪の毛は、まるで溶岩の色に染まったように赤かった。
炎のように赤い髪の毛で、炎で作られた体を持っている。
彼こそ火の神でありダークエルフの創造主であるフロックスだった。
フロックスは溶岩の火気で少しずつ体が癒されるのを
感じながらいろいろなことを考えていた。
‘ロハから受けた傷のせいで神としての力が弱くなっていたのは感じていたが、
ただの創造物にも負けるなんて…
死に掛けていたダークエルフにほとんど力を注ぎ入れたとはいえ、俺は神だ。
神が創造物に負けることはありえない!‘
フロックスは閉じた目を開き、洞窟の天井にぶら下がっている黄金の色の鍾乳石を見つめた。
‘ロハの言う通り、我々は本当に創造物に全ての力を奪われ、
いずれは消滅してしまうのか…?‘
主神オンがいきなり消えてから下位神たちはロハの意思に従い、ロハン大陸を一番初めの状態、
太古の状態へ戻そうとした。
ロハは全ての生き物を破壊することで消滅した主神オンを復活させることができ、
下位神たちも永遠になれる唯一の方法だと言った。
ロハの言うことを全て信じたわけではなかった。
ただ、他に何をすればいいのかが分からなかったのでロハの指示に従っていただけだった。
しかし、たくさんの生き物を破壊してきたのにも関わらず、
主神復活の兆しは何も感じられなかった。
その上、下位神たちの力は弱まる一方だった。
それで、フロックスはだんだんロハの言葉を疑うようになった。
ロハン大陸の生き物を全て滅ぼそうとしているのが主神オンの復活とはまったく関係なく、
ただロハが自分の気持ちを満足させる為ではないかと。
我々の力が弱くなっている原因は、創造物に力が流れているわけではないということ。
他の理由があるのではないかと疑う気持ちはどんどん強くなってしまい、
フロックスはロハに直接ぶっつかってみたが何の収穫もなかった。
何が正しくて何が正しくないのか、何が真実で何が嘘なのか。
頭の中は疑問と混沌ばかりで、何の結論も出せなかった。
アルピアから飛び出して、ロハが破壊しようとしていたハーフリングの村に身を隠した。
もしかして何かしらの解答を得られるのではないかと期待してみたが、
答えを得る前に新しい怪我を負って身を隠すしかなかった。
フロックスは立ち上がり自分の傷口を見た。
かすかな痕跡だけ残して傷はほとんど治っていた。
ラコンにある部屋で治療すれば、数時間で傷の治療だけではなく力も戻るはずだが、
アルピアには戻れないから溶岩の火の力で治療するしかなかった。
力が完全に戻るのは望めない。
フロックスは端に置いてあったローブへ向かって歩き出した。
ローブを取った瞬間、リオナのことを思い出した。
銅色のローブはフロックスの髪の毛の色と似合うと、リオナが手作りしてくれたものである。
リオナはいつも文句ばかりいう自分にも笑顔で相手にしてくれた。
紫色の瞳と健康そうな茶色の肌、ほっぺたのそばかすがかわいい少女は
一回だけ自分の前で涙を見せたことがある。
リオナは自分がヒューマンであることをぜんぜん気にしないように
ハーフリングと自然に付き合ってはいたが、
自分がヒューマンであることを悩んでいたのだった。
「フロックスさんはどんな種族なの?」
ディンから頼まれた焚き火用の木を集めている時、リオナからそう質問された。
リオナからもらったパンを食べていたフロックスは
質問の意図を尋ねるかのようにリオナの方に振り向いた。
「フロックスは見た目はハーフリングだけど、
中身はそうではないような気がする。違うんでしょう?」
「なら何に見える?」
リオナは瞬きしながら、静かに答えた。
「実は…フロックスはどの種族とも言えないよ。たまに…
この大陸の人ではないんじゃないかと思っちゃう。」
フロックスは一瞬びっくりしたが、表情には出さずに大きな声で笑いながら言った。
「わはははは、俺が幽霊ってこと?」
「ちがう!そうじゃなくって…」
慌てた表情でリオナが手を振った。フロックスは地面に横になって空を見上げながらパンを食べた。
「私はたまに自分がハーフリングという仮面をかぶって、真似事をしてるんじゃないかと思うの」
フロックスは目を大きく開いてリオナを見つめた。
「なんと言えばいいだろう。フロックスもお爺さんから聞いたから
知ってると思うけど、実は私ヒューマンでしょう。
幼い頃からハーフリングと一緒に育ってきたけど、
これからも彼らとずっと仲良くしたくて、
ハーフリングのフリをしている自分に気がつくの。
何があっても私がハーフリングになれるわけがないのに…
時間が流れると、だんだん私は友達とは違うってことが分かる。
ただ、よそ者を見る目で見られるのが怖くて、
自分の思いとは違うようにしゃべったり、行動したりするのよ。
ハーフリングなら今何と言うだろう、今どう動くだろうって…
それを考えながらハーフリングたちと付き合っている私は…」
だんだん声が小さくなり、やがてリオナは涙を流した。
いつも笑顔で楽しそうで、悩みなんかちっともないと思っていたかわいい少女の涙は、
フロックスを奇妙な気分にさせた。
炎の塊を触ったり、燃える溶岩の中で横になったりしても
一度も熱いと思ったことがなかったのに、
胸が堪えられないくらい熱くなり、熱くなっていること自体に慌ててしまった。
胸の奥から感じられる熱い熱気は、それまで一度も感じたことのない熱さだった。
熱い熱気はやがては炎になって、内から自分を燃やしてしまいそうだった。
フロックスは慌てならが答えた。
「お…俺はどんな種族かは…大した問題ではないと、お…思う」
泣いていたリオナが涙に濡れた顔を上げ、フロックスを見た。
リオナのその顔を見たら息が苦しくなった。
フロックスはまた目を閉じて必死で話し続けた。
「一番大事なのはどんな人かだよ。
リオナが無理してハーフリングになろうと頑張らなくても…
だからヒューマンの考え方で…
リオナがやりたいことをしゃべり、思う通りに行動しても…
皆、今と同じように接してくれると思う。
お前がヒューマンだろうがなんだろうがそれを気にしている人は誰もいない。
お前がハーフリングの真似をしているからじゃなく、
リオナだから好きなんだと思う。それは…」
一瞬迷ったようだったが、フロックスは小さい声で話した。
「俺も…お前がヒューマンだろうが、ハーフリングだろうが気にしない」
何で最後にそのことを言ったのか今も分からない。
手にしているローブは、その後リオナが悩みを聞いてくれたお礼として作ってくれたものだ。
何も言わずに出てきたのがいきなり気になった。
突然自分が消えてリオナはびっくりしただろう。
もしかしてリオナが怒っているかもしれないと思うと、
早く言い訳でもしないといけないと思って
急いでローブをかけると洞窟から飛び出た。
そのままプリアの街へ飛んでいこうとしていたフロックスの足を引っ張るものがあった。
体全身で感じられる母の、エドネの気だった。