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第三章 因果の輪 第2話 08.07.30
 
雨の夜だった。
夜空の月は雲でその姿を隠し、地上は真っ黒な闇だけが漂う。
まるで厚い幕に包まれたように夜のこの世界は静かだった。
もし誰かがその静寂さの中で剣を振るうのなら、
耳が裂かれるような悲鳴があふれ出そうな静けさだった。

エドウィンとタスカーはローブを被ったまま
雨に打たれながらトリアン牧場の町の入口に着いた。
町では雨の音が聞こえてくるだけで、どこにも人の気配が感じられなかった。
だが、家の中からは黄色い明かりが漏れていた。

二人は濡れたローブやカバンの重さで疲れた体で
騒がしい声が漏れてくる宿の前に立った。
エドウィンが右手でローブをたくし上げ、タスカーの方を見た。
彼女の茶色の瞳から疲れが感じられた。

「今日はここで泊まりましょう」

タスカーは安そうな古い宿の建物を眺めながらうなずいた。

「今日は馬小屋でも眠れそうな気がするわ」

彼女も非常に疲れていたため、早く食事をとって横になりたいらしい。
二人はローブの帽子を脱いで宿の入口へ入った。室内は客で込んでいた。
エドウィンが予約を取っている間、タスカーは空いているテーブルに座った。

1階の食堂には色んな種族が、周りをまったく気にもせず、
それぞれの話しに夢中になっていてうるさいほどだ。
一番奥に座っていたハーフリングの町の住民らは商人達と共にギターを弾き、
歌を歌い、冒険者らは興奮した顔で、自分の冒険談を大げさに話していた。

幾つかの集団のうち、一番目立つ集団は店の暗い片隅で、
険しい空気をかもし出しているハーフリングのグループだった。
彼らが何の話を交わしているかは分からないが、
強いビールを飲みながらくすくす笑っていた。

タスカーは彼らの方に少しの間視線を送り、
食べ物の注文のために来たハーフリングの少女の方を見た。
部屋の予約を済ませたエドウィンは、タスカーの向こうのイスに座ってローブを脱いでいた。

「暖かいスープとパン2個、チーズも少し、あ、お水もね、そして…ニンジンサラダも!」

エドウィンはニンジンの注文に驚いたが、タスカーはにっこりと笑うだけだった。
彼は、自分は彼女に勝てないということに気付き、溜息をついた。
騎士団から追放されたことになったが、
それでも聖騎士である自分がこんな小さい女性に負けていることが情けなかった。

「溜息付かないで、大人の言うことを聞いて損することはないわ」

タスカーが睨みつけてきて、エドウィンは溜息を飲み込んだ。
その時、隣のテーブルから濁った男の声が聞こえてきた。
彼らはヒューマンの商人だった。

「おめぇ、あの噂聞いたか」

目が垂れて帽子を耳まで被ったケンは向こうに座っているショーンに聞いた。
ショーンという男は頬が赤っぽくて顎にひげが生えた男だった。

「何の噂だ???」

彼は別に興味を示さず、応えた。

「驚くなよ、それがさ、実はグラット要塞が襲われたそうだよ。」

ケンが真剣な顔でショーンの驚くことを期待していたが、
ショーンは鼻で笑ってしまった。

「ケン、それは誰でも知ってることだろう?
もう何ヶ月前のことを、そんなに自慢げに言えるのかよ」

ケンはショーンの言葉に不機嫌になり、テーブルをトーンと叩いて、大声を上げた。

「じゃ、これは知ってるか。神がこの大陸を抹殺させようとしてることは!」

ケンの話しに、ざわざわうるさかったハーフリングの町の宿が急に静かになった。
彼は自分が軽率なことを言ったことに気付き、とぼけようとした。

「まあ、単なる噂かもしれないけどさ…」

だが、宿の食堂にはもう不安な空気が漂い始めた。
エドウィンはグラット要塞についての話しが聞こえた瞬間、固まってしまった。
彼は、その日、自分の目で見た光景をまだ忘れられないでいる。
たぶん一生忘れられないだろうと思ってはいた。

胸に穴が開いたまま神殿に首を吊られていた、モンスターになり、
お互いに攻撃しあう兵士達の姿はまだ頭の中で生き生きとしていて、
それを思い出すたびに彼の心臓は苦しさを感じた。
エドウィンはその苦しさのあまりに唇を噛んだ。
それをみていたタスカーが彼の手を握りながら言った。

「苦しい時も自分は一人じゃないってことを思い出して」

「タスカー…」

エドウィンは元気のない微笑みを顔に浮かべた。
その時、食堂を襲った静寂を破って、
歌を歌っていたハーフリングのうちの1人が動揺した目で言った。

「俺もその話しは耳にしたことがある、
モンスターが人間を攻撃するようになったのも神のせいだって」

彼の話しに隣でギターを弾いていたハーフリングが震える声で否定した。

「まさか…それが本当だったら神殿の神官が何か言ったはずだよ、だよな?」

「そ、そうだよ、シルバは絶対俺達を見捨てたりしないはずだ。」

彼の話しに同意するとも言うようにヒューマンの商人もうなずいた。

「そうだよ、神は俺達を見捨てるような方じゃない!」

彼らは噂が嘘であることを確認しあい、不安な気持ちを晴らそうとしたが、
そんな彼らの会話を聞いていたハーフエルフの1人が冷ややかに言った。

「アホなやつら。神はずっと前に俺達を見捨てたんだよ、
じゃないとモンスターが人を攻撃するのにだまっているわけがないぜ」

食堂にいた皆がショックを受けた顔でその声が聞こえた方向を見た。
彼は金と茶色の間程度の色をした髪の毛を垂らして、胸や腕や足を包む鎧を着ていた。
少し生意気で鋭い雰囲気のその男を、人々はピル傭兵団の使者‘カエール・ダトン‘と呼んだ。
カエールを知っている何人かの人々は彼の登場に視線を避けた。

「いや、最初から神はいなかったかもしれん、そう思わないか、聖騎士様」

急にカエールがエドウィンに質問を投げた。
エドウィンは彼の図々しい言い方に顔をしかめた。

「翼の盾や十字架…それにそのブローチは聖騎士だけがつけると聞いているんだよな…」

エドウィンは自分のブローチを見つめた。

「どうだい?神がマジでいると思うかい」

カエールはエドウィンの答えを求めて
しつこくそのするどい視線をエドウィンに送っていた。
エドウィンは自分を睨むカエールの目をじっと見つめながら言った。

「いるから疑うこともできるんだろう」

カエールは彼の応えに不満そうな顔をした。

「ふむ、優等生みたいな答えだな」

エドウィンはカエールの言い方に腹が立った。

「じゃ、君はどうなんだ」

「俺?」

カエールは自分を指差して笑った。

「さあな、いてもいなくてもかまわん」

彼はくすくす笑いながらイスから起き上がった。
周りに座っていたハーフエルフの傭兵らしき者らも同時に起き上がった。

「お前は聖騎士のくせに、神への不信でいっぱいじゃないか。
また今度会ったらどう変わっているか期待だな」

カエールはまた冷ややかな話しをエドウィンに投げて、傭兵団の仲間と2階に上がった。
エドウィンは聖騎士である自分が神の存在についてはっきり応えなかったことに苦笑いをした。
彼も自分が、グラット要塞の事件以来、神への疑いを抱き始めたことには気付いていた。
そしてその疑いの果てにある真実というものが彼の気を重くしていることにも。

「その話し、どこで聞いた?」

人々の話を聞いていたタスカーが急に起き上がって、ある男の胸倉を取る。

「な、なんのことだ?」

胸倉を握られた男はびっくりして言いもつれてしまった。

「さっき、ラウケ神団がどうだこうだって言ったじゃない!」

普段のタスカーらしくない、興奮した声が漏れる。

「ぼ、僕はただ、ラウケ神団がその噂話を世の中に広げたって言っただけだ、
それがどうした!」

「そのラウケ神団、どこで会ったの?」

タスカーは何故かさっきより興奮して、男の胸倉をもっと激しく握っていた。

「けっ、は、離してくれよ、人を殺す気か?」

ケンは彼女の手を振り切って、叫ぶように言った。

「シルバの風の近くで会ったんだ、もういいか?!」

「いつ?」

「2日前だった、ったく…変な女だな」

ケンは床につばを吐き、その場を去ってしまった。
しかしタスカーはそのまま固まったように立って、何かを深く考えていた。
エドウィンは彼女の顔に驚いて話しかけることができなかった。
そしてタスカーは決心した顔でエドウィンにこう言った。

「エドウィン、悪いけど、リマには1人で行って」

「急にどうしたんですか」

彼女は恐る恐る答えた。

「私は息子を探しに行かないと」

「息子?」

エドウィンはびっくりして聞き返した。

「実は私、ラウケ神団にまぎれて家出した息子を探すために旅してるの。
あの子は、神が私達を捨てたという話しに絶望し、家を出てしまったの」

タスカーの瞳には悲しさが溢れていた。

「息子の名前は?」

エドウィンはタスカーを慰めるために話題を変えようとした。

「エミル…」

「じゃ、僕も一緒にエミルを探します、
どうせそっちの方も行ってみようかって思ってましたから」

エドウィンに話しにタスカーの目が大きくなって、やがて涙目になった。

「あなたって、意外と優しいんだから」

エドウィンは急に自分の頭を撫でるタスカーに驚いて顔を赤くした。

「恥ずかしいことないよ。私、年上だって言ったでしょ?」

タスカーは意地悪く笑った。
エドウィンは自分を子ども扱いしているタスカーの行動に溜息さえついたが、
当分はこのままがいいとも思った。
彼女が息子を探すまでこの道を進めば、
いつかは神の真実に触れることができるかもしれないという根拠のない思いが、頭をよぎった。
第3話もお楽しみに!
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