タスカーの事が心配でなかなか眠れず、ベッドから起き上がってしまった。 心配だけではなく、直接タスカーを看護するほうが気楽になれそうだった。 暗殺者たちが戻ってくるかも知れないので、武装しようと考えたが、 傭兵たちも多い街だから心配ご無用と言ったカエールの話もあったので、 軽い服装に鞘が提げられているベルトだけを締めて自分の部力はロハ屋から出た。
相変わらず宿の食堂は旅人たちの話で満ちていた。 女将のビッキーは彼らのお酒と料理の支度で大変だった。 エドウィンは宿をでて、タスカーが療養しているグスタフの家に向かった。 夜空にはエドネの目とも呼ばれる満月と星たちが輝いていた。 ふとアインホルンにいる家族たちを思い出す。 旅を始めてから一度も家族に手紙を送ったことがなかったので、 他の人はともかく、母親は自分の事を心配していた。 父であるバルタソン男爵は厳しくて無口な人だった。 国王に忠誠を尽くすことを最高の美徳と思っていた父は 自分の息子たちが国王を補佐する立派な人物になることを望んでいた。 そんな父の期待に応じるよう、エドウィンの兄であるジフリットは 首都の大神殿の司祭になった。
デル・ラゴスで大神殿の司祭が持つ影響力はとても大きい。 国王の権力は絶対的であったものの、その権力をむやみに振り回せないよう 阻止できる唯一の勢教団である。 国王とロハ教団はお互い補完し合うようにデル・ラゴスを治めている。 ロハ教団の中心が首都の大神殿ということから、 そこにいる司祭とは一国の宰相に相応する地位を持つ。 そこで、司祭になった者はその権力が乱用されることがないよう、 家族から離れて、大神殿で全てを神に捧げながら一生を送るようになっている。
二十歳で司祭となって家を離れることになったジフリットは、 自宅での最後の夜、八つ下の弟に聖騎士になるように言った。
「なんで?俺も司祭様になりたいのに…」
「お前は本を読むことより剣の稽古のほうがもっと好きなんだろう?」
「そりゃそうだけど… 司祭様のほうが格好いいじゃん」
ジフリットは頭を横に振った。
「そうじゃないよ。 神様に仕え、陛下に忠誠し、民を護る聖騎士ほど 名誉な人はいないんだ。 実は俺も聖騎士になりたかったんだ」
「じゃあ、なんで司祭様になったの?」
聖騎士にならず、なんで司祭になったのかと聞くと 兄は苦笑しながらエドウィンの頭をなでるだけだった。
今考えてみると、兄が何故聖騎士ではなく、司祭の道を選んだのか 理解できるような気がした。 父は他の貴族とは違ってどの勢力にも加担せず、政治的な争いには関心の無い 忠誠心溢れる国王の臣だった。 しかしバルタソン男爵は近衛訓練隊長に勤めていたので、 彼を自分の勢力に引き入れようとする貴族が多かった。 多くの貴族が父にあらゆる誘惑や脅迫をして自分の味方にしようとしたものの、 父は自分の道を歩くだけだった。 兄はそういうことが不安だったので、自ら家門を守ろうと司祭になったのだと エドウィンは察した。
「ん?」
グスタフの家に近づくと、金属がぶつかる音がした。 エドウィンは鞘に納められている剣の柄を握り、家の中に飛び込んだ。 グスタフは何の音も聞こえなかったように、ペチカの近くに座って本を読んでいたが、 いきなり飛んで来たエドウィンを見てすごく驚いた。
「何のことだ?」
「刃がぶつかる音が聞こえるじゃないですか!」
エドウィンは剣を引き抜き二階まで走りあがった。 扉が開き、タスカーの姿が見える。
「タスカーさん!大丈夫ですか?!」
エドウィンの声にタスカーが振り向く。
「私は大丈夫だけど、ダークエルフが…」
エドウィンはタスカーの前に立って、両手で剣を握り部屋に入った。 追いかけてきたグスタフがランプを持ち上げ、暗い部屋の中を照らす。 床には昼間に遭遇した暗殺者が意識を失って倒れていた。 警戒を解かず後ずさりでフロイオンを確認したエドウィンは タスカーに彼が無事だと言った。 エドウィンは暗殺者が握っていた武器を奪い取ったが、 彼女は死体のように倒れているだけだった。
「彼女を止めたのはだれですか? 確か刃がぶつかる音がしたのですが…」
エドウィンは部屋の中を見回したが、タスカーやフロイオンを除いて 誰もいなかった。 タスカーはゆっくりと部屋に入り、血が付いている壁を指した。
「さっきまであそこに男の人がいたけど…」
エドウィンはタスカーが指差したところに行ってみたが、 人の気配はなかった。 ただ壁に塗られている血痕がまだ乾いてなかったので タスカーの見間違いではないことは確かだった。
「消えましたね」
タスカーの傍に戻ってエドウィンが聞く。
「何があったんですか?」
「夜中に目が覚めて、隣の部屋にいってシルバ様への祈祷書を読みながら、 心を落ち着かせていたけど、いきなり戦う音がしたの。 走ってきてみたら、一人の男の人が暗殺者と戦っていたわ」
「お知り合いでしたか?」
「いいえ、初めてみる人だったわ。 お蔭様で助かったのに、お礼も言えなかったわね。 ハーフリングとしてはちょっと背の高い人だったんだけど…」
グスタフは倒れている暗殺者がまだ生きているのかを確認して、 不思議そうにつぶやく。
「変だな。 体に何の気力も残ってないのに、死んだのではなく眠っているとは…」
「生きていますか?」
タスカーがグスタフに静かに聞く。
「生きてはいるけど、生きているとは言えないね。 だからといって死んだとも言えないし… 当分は目覚められないようだが… あるいは、このまま一生起きないかも知れん」
「目が覚めるように助けないといけないですね」
暗殺者を助けるというタスカーの言葉にエドウィンは惚けた顔をした。
「タスカーさん、彼女は人を殺そうとしましたよ」
「分かってるわ」
「なのに何故?」
タスカーはエドウィンの質問に何も応えず、 暗殺者を隣の空いたベッドに寝かせるように頼んだ。 エドウィンは呆れ顔で彼女の言うとおりに、意識の無い暗殺者をベッドの上に寝かせた。 タスカーは暗殺者の武装を解除して、床に置いたあと、布団を被せた。
「そっちはもう大丈夫かね?」
フロイオンを労わっていたグスタフが、タスカーにそっと聞く。
「ええ、お蔭様で… ありがとうございます。お世話になりました」
「なに、当然のことをしただけよ。 こっちのダークエルフの調子も結構良くなったな。 明日の夜くらいには目を覚ますだろうね。 俺がこの二人を見ているから、あんたはあの若者と一緒に下でお茶でも飲んでな」
グスタフの言葉にタスカーはもう一度礼を言い、エドウィンと一緒に下に降りた。 ペチカでは小さいやかんの湯が沸いていた。 タスカーはペチカの上に置いてあった厚い手袋を付けてやかんを取り出し、 テーブルの上のカップに液体を注いだ。 やかんの中にはただのお湯ではなく、茶葉も入っていたのか カップからお茶の香りが広まる。 隣で自分を見つめているエドウィンにカップを渡したタスカーは 他のカップに自分用のお茶をいれてやかんを元の位置に戻した。
「何であの人を助けたのか気になるの?」
タスカーはテーブルの横に座り、エドウィンにも座るよう誘った。 もじもじしていたエドウィンが隣に座ると、タスカーはお茶を一口飲んでから語り始める。
「ハーフリングにはリマという国があるけど、 他の種族のように定着するという考えはないのよ。 私たちはもともと遊牧民だからね。 各地を漂っていた私たちが、首都を決め、街を作って定着し始めたのは そんなに昔のことでもないの。 だからか、いまだに遊牧民だったときの価値観が残っている。 遊牧民にとって重要なのは何なのか、知ってる?」
エドウィンは分わからないと答えた。
「それは命よ。 他の何よりも命というのは、私たちにもっとも重要なもの。 命が大事ではないと言う人はいないと思うけど、遊牧民にとって命とは 他の人たちが考えているものよりも大きい意味を持っているの」
「よく分かりませんね」
「簡単に言ってしまうと、敵だとしても死の危機に迫っていたら、 まずは彼を救うべきだと思うの。 生きているということだけでも、神様に恵まれていることだから… 誰にも神様が下した祝福を勝手に奪ってしまう権利なんかないというのが 私たちの価値観よ」
「タスカーさん…」
「分かっているよ。彼女が私のエミルを殺した暗殺者の一人だということは… でもね、エドウィン・・・ 彼女がエミルを殺した人だからといって、私が彼女に復讐をしたとしても エミルの霊魂の悔しさが減って、私の悲しみが消える? 私はそう思わないわ。 彼女がいつか私とエミルに、真摯に受け止めて許しを求めてくると その時、私の悲しみが消えると思うわ」 | |