暖かい風が吹いてきて金色に実った小麦を揺さぶる、平和な午後。 プリアの町の市場にはいつものように色んな品が販売され、 人々には活気が溢れていた。
綺麗に磨いた石の床に2つの輪のついたボードに乗って 子供達が速いスピードで過ぎていく。 そのせいでほこりが舞い上がって商売をやっている大人達は いたずらな子供達をしかっていたが、 子供達は笑いながら舌を出すだけだった。 怒っていたハーフリングの大人達は溜息をつき、やがて笑ってしまう。
全てが平和、そのものだった。 ここは発明品で有名な町。 そのため珍しい品を購入するために わざわざ遠くから来ている人も多い。
一番込んでいる場所は機械販売店や 色んな工房がある城壁の端っこの地域で、 特に中央広場はいつも人々で込んでいた。 その他は農場などの閑散な地域が多い。
人間の姿をしたフロックスがこの町に着いたのは2日前だった。 2日間何も食べずに陰に身を隠して、人々の姿を観察しながら過ごした。 彼は自分の赤い瞳に、生き生きとした活気溢れる ハーフリングの姿を1つ、2つずつ刻んだ。
彼がこんな意味のないことをするのは、 この町はロハが壊せと命令したその町であるためだ。 しかし彼が来たのはこのハーフリングを助けるためでもない。
神が人間の生にかかわることはできない上、 フロックスが人間を助けようとしても、 ロハと他の神が力を合わせて大陸の滅亡に励んでいるなら、 勝算のないことだ。
フロックスはただロハの行動が気に入らなかっただけだった。 ここに来ても刹那の瞬間に過ぎない人間の生を、 彼らが生きる価値があるのかどうか自分でも分からない。 もしかしたらこのまま人間が滅亡しても別にいいので? こんなことを考えている自分の矛盾にフロックスは苦笑いをした。
自分より、はっきりした意志や意味を持って 行動するロハの方が素直なんじゃないか。 俺は何しにここへ来たんだろう。 フロックスは自分が持っている正義を疑い始めた。
「おい、そこの坊や!」
ある老人が彼に話しかけてきた。 フロックスは日差しが眩しくて顔をしかめながら上の方向を見上げた。 老人はちりちりとしたひげや膨らんだお腹のハーフリングだった。 老人の後にたくさんの人々が行き来している。
「何じゃ、まだ死んでない?」
「何の話だ」
フロックスの言い方を老人は気にしないようだった。
「君が昨日からここにいたのを知っとる。 だが何も食べてないから死んでもおかしくはないと思ってな。 苦労なんか経験もないような顔をした坊やがここで何をしとる」
「お前には関係ない」
フロックスはめんどくさいと思ったらしく、目をつぶった。 しかしずっと自分を見つめる視線を感じて目を開けてしまった。 にっこりと笑っているハーフリングの老人の顔が目の前にいた。
「さあ、起きるんだ」
何を言ってるのか、この爺は。
「ちょうどうちに人手が足りないところだった。 君は食べ物を得るために働いてもらおう」
老人の話にフロックスは呆れたっていう顔をした。
「お前に付いていく気はないぞ」
「じゃ、君がその気になるまでここで待とう」
老人は座り込みフロックスの顔を見た。
「一体何の用だ、俺に!」
「君の目を見たらなんだか切なくなってな…」
老人の言葉にフロックスは顔をしかめた。
「は、切ない?」
「虚しすぎる」
フロックスの顔が固まった。 その反面、老人はにっこりと笑って人並みの方に視線を送った。 そして指で、ある商店の壁にかかっている滑車を指し、楽しそうに言った。
「ワシは発明者だ。あの滑車もワシの発明品だ。 子供たちの2輪ボードもそうなのじゃ。 うちで使ってる物のほとんどがワシの発明した物だ。 今は空を飛べる乗り物を発明するのに夢中になっているんだ。」
「空を飛ぶ?それが可能だと思ってるのか」
フロックスはクスって笑ったが、老人の顔は生き生きとしている。
「不可能なことだからこそ挑戦したいんだ。発明っていうのはそんなもんじゃ。 自分の夢を実現すること。人間はその不可能な何かに挑戦し続ける存在だ。 しかし君の目からそんな輝きは見られない。」
フロックスは何とも答えなかった。 いや、答えることができなかった。 何千年も生きてきた彼がハーフリングの老人なんかに説教されるなんて。 フロックスは自分が情けなく感じられ、笑ってしまった。 そんな彼を老人はじっと見ているだけだった。 そして急に笑いを止めたフロックスは鋭さを浮かべた赤い瞳で聞いた。
「お前は自分が生きる価値のある存在だと思うのか。」
ハーフリングの老人は、ハハハって笑った。
「生きる価値のない人間なんていない、って答えてあげたいけど、 世の中には生きる価値のない人間もいるのじゃ。 生まれないほうがいい命もいるもんさ。 しかしその価値のない命だって誰かが生きて欲しいと思うなら生きる権利はあるのだ。 そもそも人間が人間に生きる価値を云々する権利はない。命は自分のものだから」
フロックスは少し考えてから、また聞いた。
「俺がお前に生きて欲しいならそれも価値っていえるもんか。」
「もちろん、この使えない年寄りの体でもいいなら」
老人は膝を叩きながら大きな笑いを見せた。
「分からないな…」
フロックスは頭を振った。
「そんなことはもっと生きていけば分かることさ。若い君が悩む必要は無い」
老人は起き上がって体を大きく伸ばした。
「最近は体力が落ちてきてな、君みたいな青年が手伝ってくれるなら… どうせ泊まるとこもないようだからどうだ。」
フロックスはその言葉に答えずに町を行き来する人々の方を眺めた。 夕焼けが向こうの山から赤い影を作っていた。 彼は忙しそうに行き来する人々の姿が 今にでもすぐ消えそうな蜃気楼みたいに見えた。
その時、フロックスの目に入ったのは小さな人間のシルエット。 そのシルエットは紫の瞳やそばかすの女の子だった。
「おじいちゃん、ここで何してるの?」
少女がハーフリングの老人に明るく聞いた。
「おー、リオナ、友達と遊んできたのか」
「うん、まだ帰らないの?今日ね、キノコをもらってきたよ」
老人はフロックスのほうをちらっと見て答えた。
「そうかい、リオナ、今日の夕飯は3人前を用意してくれるかい」
その話しを聞いたリオナはフロックスの方を見た。
「うん、でも早く帰ってきてね、お腹すいてるもん」
「うん、もうすぐ帰るよ」
少女は手を振って人並みの中へ入り、やがて見えなくなった。
「あの子は?」
その質問に老人は自慢げに言った。
「ワシの孫じゃ」
「ハーフリングじゃないのに?」
フロックスは驚いた顔で聞いた。
「リオナはヒューマンの子だけどワシの孫じゃ。ワシがそう決めたから」
「お前も変わった人だな」
フロックスは苦笑いをしながら起き上がった。 力を回復するまで老人の家で休むのもいいかもしれない。 ハーフリングの老人はフロックスの考えを読んだのか。 にっこりと笑って手を伸ばした。
「ワシはディンだ、君の名前は?」
フロックスは老人を握手しながらはっきりと自分の名前を言った。
「フロックス」
老人は驚いた表情で目を大きくした。
「神の名前から名づけたのかい、変わった親だな」
フロックスの口の先が笑うように少し上がった。
「世界で一番傲慢な者だったのさ」
「ははは、君にそっくりじゃないか」
ハーフリングは笑いながら歩き出した。 フロックスはその後を追って歩きながら、 聞こえない深い溜息をついた。
この町に着いた頃は自分が正しいか、 ロハが正しいかを確認したいと堅く決心していた。 しかし今は人間が生きる価値のある存在なのか自分も分からなくなり、 誰の正義が正しいのかはっきり言えない。
フロックスは自分の中でもその答えを探すことができなかった。 今はただロハの正義が正しくないのを願うだけだった。
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